ライチョウ(9) — 人工繁殖と野生復帰への挑戦
※本コラムは2025年6月に加筆修正しました。
1. はじめに
ニホンライチョウ (Lagopus muta japonica) は、日本アルプスの高山帯に生息する特別天然記念物の鳥です。その個体数は、かつて1980年代には推定約3,000羽いたものが、2000年代には2,000羽弱にまで減少したとされていますが、最新の調査では、北アルプスでは個体数が回復傾向にある一方で、火打山や南アルプスの一部地域では減少傾向が続いており、全体として生息状況は依然として厳しい状態にあります。主な減少要因としては、地上性捕食者(テン、キツネ、オコジョ、ハシブトガラスなど)の進出が挙げられ、中央アルプスではニホンザルの追い払い事業も実施されています。このような状況を受け、ライチョウは2012年に環境省レッドリストで絶滅危惧IB類に指定されました。
しかし、中央アルプスにおける野生復帰事業の顕著な成果により、同地域での個体数は順調に増加しており、目標とする自立個体群の認定を目指しています。中央アルプスが自立個体群として認定されれば、2029年度に他の生息地の状況も踏まえ、環境省レッドリストにおいて絶滅危惧IB類(EN)から絶滅危惧Ⅱ類(VU)へのダウンリストを検討できる状態になる見込みです。
こうした状況に対処するため、環境省はライチョウを対象とした保護増殖事業計画を策定し、生息域内保全(生息地保護)と生息域外保全(飼育下繁殖)を並行して推進し、野生復帰に力を注いでいます。その推進において、中村浩志先生(信州大学名誉教授)の長年の研究と功績が大きな役割を果たされています。本コラムでは、ライチョウの人工繁殖の歴史と現状、中央アルプスなどで進む野生復帰の事例、そしてそれに伴う課題と今後の展望について詳しくご紹介します。あわせて、1960年代に富士山で試みられた放鳥事例を振り返り、そこから得られた教訓と、近年の成功へと繋がる改善点も解説します。
2. 人工繁殖の歴史と現状
2-1. 飼育下繁殖の始まり
ライチョウの飼育下繁殖は、1960年代に長野県の大町山岳博物館で試行が開始されました。当時は飼育技術や生態学的知見が十分でなく、1980年代に一部の動物園でも試みが行われたものの、安定した成果は得られませんでした。しかし、ライチョウ個体数の急減が明らかになる中、2012年に環境省の「ライチョウ保護増殖事業計画」が策定され、これを基に「第一期ライチョウ保護増殖事業実施計画(平成24年~令和元年)」が実施され、その後「第二期ライチョウ保護増殖事業実施計画(令和2年~令和6年)」へと引き継がれました。特に生息域外保全に関しては、「第二期ライチョウ生息域外保全実施計画(令和3年~令和7年)」に基づき、日本動物園水族館協会(JAZA)加盟園が連携して研究開発を進めました。この事業推進のため、環境省保護増殖検討会のもと、生息域内保全、生息域外保全、捕食者等対策、野生復帰、遺伝子解析、飼育管理など多岐にわたるワーキンググループが設置されています。
2015年以降、いしかわ動物園、上野動物園、富山市ファミリーパークなどで本格的な人工孵化・育雛に成功し、上野動物園では近縁種のスバールバルライチョウの技術を応用した人工授精による孵化が実現しました。さらに近年では、ライチョウ保護増殖事業において初めて、野生のニホンライチョウ雄個体から精子を採取し、飼育下の雌個体へ人工授精を行い、雛を誕生させることにも成功しています。特に2024年には富山市ファミリーパークでこの技術により2羽の雛が孵化し、これにより2系統の新たな遺伝子が飼育下に導入されました。また、上野動物園ではポテンシャルファウンダーからの人工授精により6羽が孵化しています。
2-2. 飼育技術の進歩
近年、遺伝子工学や細菌学の発展により、ライチョウの人工繁殖技術は大きく向上しました。特に以下の点が成果として挙げられます。
人工授精技術
野生雄個体からの精子採取は2024年に試みられ、捕獲した7個体中5個体から精子採取に成功し、捕獲から30分以内に処置されたため個体への大きな負担はなかったと判断されています。この精子を用いた人工授精により、新たに2系統の遺伝子を飼育下に導入することができました。
しかし、精子の質(数、濃度、量)には個体差が大きく、飼育個体に注入可能と判断されたのは2個体の精子のみでした。また、精子注入後に産卵された卵の発生率が低く、13卵中発生に至ったのは4卵(30.7%)、孵化したのは2卵(15.3%)に留まっています。精子の凍結輸送および保存についても引き続き課題とされています。
今後は、優良精液の採取成功数の増加、精液の低温輸送方法の向上、人工授精率および雛の孵化率の向上を目指し、引き続き技術開発が進められる計画です。-
腸内細菌叢の構築と高山植物の給餌
孵化直後の雛に野生個体由来の糞末と高山植物を給餌することで、那須どうぶつ王国と大町山岳博物館では野外型に近い腸内細菌叢を構築することに成功しました。ライチョウの主食であるガンコウランなどの高山植物に含まれるタンニンを始めとした二次代謝産物が、野生型の腸内細菌叢構築および維持に重要であることが示唆されています。
一方で、糞末投与の1日レベルでの遅れや、高山植物に対する嗜好性のばらつき(採餌量不足)が、腸内細菌叢構築に影響を与える可能性があることが課題として指摘されています。これは、孵化直後の雛の腸管が無菌状態であり、この時期に野生個体由来の菌を取り込み定着させることが重要であるためです。
今後は、孵化直後に凍結乾燥糞末を確実に投与すること、ガンコウランなどの凍結乾燥粉末を餌に混ぜて菌叢誘導を図ること、人工飼料を減らして高山植物の採餌を促す給餌方法の工夫など、より確実な腸内細菌叢の定着を目指します。 -
繁殖遅延への対策と人工育雛の精度向上
屋外放飼場の温度が繁殖期(5月~7月)に高温になることが、産卵遅延や産卵しない原因となる可能性が明らかになりました。特に産卵前に最高気温が16度以上の温度を継続的に経験することが原因と考えられています。このため、今後はメスを屋外放飼場に出す時間を最低限に制限するなどの飼育方法の変更が検討されています。移送前までの人工育雛による生存率は57%で、抗生物質を使用せずともこれまでの育雛率と同程度を維持し、目標の移送個体10羽を創出できました。
しかし、孵化から1ヶ月間、特に1週齢までの生存率が低いという課題があります8。孵化時に卵黄嚢が体から飛び出る事例が複数確認され、人工孵卵器の設定(孵化直前の温度上昇)に起因する可能性が指摘されており、各ステージでの精度向上が必要とされています。来年度は、母鳥への栄養強化や孵卵条件の再検討を行う計画です。
-
アイメリア原虫の付与
放鳥候補個体にはアイメリア原虫を付与することに成功しています。同じ飼育舎内に感染個体がいる場合、衣服や靴底についたオーシストが意図せず取り込まれ、感染が成立する場合があることが確認されています。また、放飼場の砂を利用しても感染が成立することが確認されました。
一方で、少量のオーシスト投与でも多量の排出が確認されており、ニホンライチョウは本来の宿主でもあるため、微量で容易に感染が成立する可能性があることが示されています。
今後は、一部の個体についてはアイメリア原虫を付与せずに放鳥することも検討されています。これは、高濃度感染が健康被害につながる一方で、野生ライチョウにおける感染動態や健康被害には不明な点が多いこと、成鳥になってから初感染した事例では健康被害が見られないことを踏まえ、技術確立の一環として行われます。
これらの技術革新により、ライチョウの健康維持や野外適応力向上のための基盤は大きく強化されつつありますが、孵化率や育雛率のさらなる向上、繁殖遅延への対応、移送中の事故対策(令和6年には移送中に3個体が死亡する事故が発生し、高温多湿によるヒートショックが原因と判断されました)など、引き続き技術の精度向上と課題解決に向けた取り組みが進められています。
3. 富士山での放鳥とその失敗
3-1. 富士山での放鳥計画の経緯
1960年、旧農林省(現・環境省)の主導のもと、富士山へのライチョウ移植計画が実施されました。北アルプス白馬岳から捕獲された成鳥3羽(オス1羽、メス2羽)とヒナ4羽がヘリコプターで富士山の富士宮口4.5合目(標高約2,000m)に移送され、放鳥されました。当時は富士山の高所が冷涼でライチョウの生息に適していると考えられていました。
3-2. 放鳥後の状況と一時的繁殖の確認
放鳥直後は、一時的に富士山高所で親子連れが確認され、1963年には吉田口付近で、1964年・1965年には10~12羽が観察され、一時的な繁殖の兆候が見られました。
3-3. 失敗要因と教訓
しかし、富士山での放鳥は長期的な定着には至らず、以下の要因が挙げられます。
生息環境の適合性不足
ライチョウは高山帯のハイマツ群落に依存しますが、富士山ではハイマツの分布が希薄で、餌資源となる高山植物も不足していました。捕食圧の高さ
多くの登山者によるゴミなどが捕食者(キツネ、カラス)の活動を促進し、卵やヒナが捕食されるリスクが増大しました。放鳥手法の未熟さ
当時は即時放鳥(ハードリリース)が採用され、十分な順化期間が確保されなかったため、ライチョウが新環境に適応できませんでした。個体数の不足
移送された個体数が極めて少なく、繁殖集団としての安定性が欠如していました。
これらの教訓は、後の中央アルプスでの野生復帰プロジェクトにおける「ケージ保護」方式の採用や、詳細な生息環境評価の重要性として活かされています。
4. 中央アルプスでのケージ保護と野生復帰
4-1. 中央アルプスでのライチョウ復活プロジェクトの背景
中央アルプスでは、1960年代以降ライチョウが絶滅したと考えられていました。しかし、2018年に偶然1羽の雌個体が確認されたことをきっかけに、環境省が2012年に策定した「ライチョウ保護増殖事業計画」の一環として、中央アルプスでのライチョウ復活プロジェクトが本格的に始動しました。特に、中央アルプスにおけるライチョウ野生復帰実施計画は、令和3年度(2021年度)から令和7年度(2025年度)までの期間で進められています。
このプロジェクトでは、富士山での放鳥計画の失敗から得た教訓を活かし、適切な生息地選定と放鳥方法の改善が重要視されました。
その中でも、「ケージ保護」を活用した野生復帰手法は特に効果的でした。この手法は、第一期ライチョウ保護増殖事業においてその方法論がほぼ確立されており、第二期計画では野生復帰個体の後期野生馴化手法としても活用されました。中央アルプスでのケージ保護事業は、過去4年間で十分な成果を上げたと判断され、令和6年度(2024年度)をもって終了となりました。令和7年度からは、7月のケージ保護は実施しない方針です。
このプロジェクトは目覚ましい成功を収めており、中央アルプスにおいては個体数が順調に増加し、第二期ライチョウ保護増殖事業実施計画で設定されたなわばり数の目標上限を1年早く達成しました。現在、中央アルプスの個体数は約130個体程度まで増加しており、御嶽山や乗鞍岳と同程度の水準に達しています。
環境省は、この成果に基づき、ニホンライチョウのレッドリスト分類を見直す方針です。中央アルプスの個体群が将来的に維持できる「自立個体群」として認定されれば、現在の「絶滅危惧IB類(EN)」から「絶滅危惧Ⅱ類(VU)」へのダウンリスト(分類引き下げ)が可能となる見込みです。この目標達成のため、令和8年度(2026年度)から令和10年度(2028年度)にかけて中央アルプスでの生息状況調査を実施し、令和11年度(2029年度)に3年間のデータを用いて個体群の将来予測を行う計画です。この予測により2035年程度までの存続が見込まれる場合に、中央アルプスを自立個体群として認定し、他の生息地の状況も踏まえてダウンリストが検討されます。これにより、ライチョウ保護増殖事業は令和12年度(2030年度)以降、「監視フェーズ」へ移行する予定です。
4-2. ケージ保護とは?
「ケージ保護」とは、環境省が2012年に策定した「ライチョウ保護増殖事業計画」における生息域内保全手法の一つであり、孵化直後のヒナと親鳥を一定期間ケージ内に保護し、天候や捕食者から守りながら野生環境に慣れさせる手法です。この方法により、雛の生存率が向上し、野外での適応力が高まるとされています。
この技術の普及には、長年ライチョウの繁殖・生態研究を続けてきた中村浩志先生(信州大学名誉教授)の貢献が大きく、中村先生は南アルプスでの実験的導入を通じ、5年間で個体数を4倍に増やす成功事例を作り上げました。
第一期ライチョウ保護増殖事業において、ケージ保護の方法論はほぼ確立されており、その知見が中央アルプスの復活プロジェクトにも活かされました。乗鞍岳から移送した家族群や、動物園で育てたヒナをケージ内で順化させた後に野外へ放つ「ソフトリリース」*が採用されました。第二期計画においては、ケージ保護が生息域内保全手法だけでなく、野生復帰個体の後期野生馴化手法としても活用されています。
4-3. ケージ保護の実施方法
中央アルプスでのケージ保護事業は、過去4年間で十分な成果を上げたと判断され、令和6年度(2024年度)をもって終了となりました。この項目では、これまでのケージ保護の実施方法を記述します。
-
個体の選定と移送
・乗鞍岳や北アルプスのライチョウ家族群を選定し、ヘリコプターで移送。動物園で育ったヒナも対象とし、親鳥の指導のもと順化させます。
・令和6年度(2024年度)には、初めて亜成鳥7個体の陸送が実施されましたが、移送中に3個体が死亡する事故が発生しました。この事故の最大の原因は、移送中の高温多湿によるヒートショックであり、環境省および日本動物園水族環境会(JAZA)の実施体制における事前確認や情報共有の不足が指摘されました。これを受けて、今後は個体移送に関するマニュアルを作成し、移送箱の改良や車両運搬方法の検討を進める方針です。
・令和7年度(2025年度)の野生復帰では、中央アルプス駒ヶ岳周辺を移送先とし、亜成鳥(令和7年生まれ)20~25個体、成鳥(令和6年以前生まれ)5~10個体、合計30個体前後の放鳥が目標とされています。 -
ケージ内での適応訓練(※令和6年度で終了)
高山帯に設置した大型ケージ(木枠と金網で囲まれたもの)に親鳥とヒナを収容します。
・令和6年度は頂上山荘裏に3個のケージが設置され、目標通り3家族の保護に成功しました。
・捕食者(キツネ、テン、カラス)からの攻撃を防ぎながら、自然の餌に慣れさせます。孵化直後の雛の腸管は無菌状態であるため、野生個体由来の凍結乾燥糞末を確実に投与することや、ガンコウランなどライチョウの主食となる高山植物の給餌を通じて、野外型の腸内細菌叢に近づける取り組みが行われました910。また、野生個体が有するアイメリア原虫の付与も行われ、放鳥候補個体については付与に成功しています。
・天候が良い日には、1日2回ケージを開放し、親子を周辺の自然環境に「お散歩」させることで、親鳥がヒナに生存技術を教えました。
-
放鳥とモニタリング
高山帯に設置した大型ケージ(木枠と金網で囲まれたもの)に親鳥とヒナを収容します。令和6年度は頂上山荘裏に3個のケージが設置され、3家族の保護に成功しました。
・捕食者(キツネ、テン、カラス)からの攻撃を防ぎながら、自然の餌に慣れさせます。孵化直後の雛の腸管は無菌状態であるため、野生個体由来の凍結乾燥糞末を確実に投与することや、ガンコウランなどライチョウの主食となる高山植物の給餌を通じて、野外型の腸内細菌叢に近づける取り組みが行われました。また、野生個体が有するアイメリア原虫の付与も行われ、放鳥候補個体については付与に成功しています。
・天候が良い日には、1日2回ケージを開放し、親子を周辺の自然環境に「お散歩」させることで、親鳥がヒナに生存技術を教えます。この方法により、ヒナが自然環境に適応するまでの安全期間を確保し、生存率を高めることができました。
4-4. ケージ保護の成果と成功率
ケージ保護を導入したことで、中央アルプスのライチョウ個体群は着実に回復しています。
中央アルプスのライチョウ個体数は順調に増加しており、第二期ライチョウ保護増殖事業実施計画で設定されたなわばり数の目標上限を1年早く達成しました。
令和6年度(2024年度)の生息数は約130個体程度まで増加しており、御嶽山や乗鞍岳と同程度の水準に達しています。これは前年夏に生まれた多くの若鳥が無事越冬できたことを意味し、ケージ保護が野生個体群の増加に寄与していることが明らかになりました。
特に、ケージ保護した雛の生存率が最も良好な結果を示しており、過去4年間の中央アルプスにおけるケージ保護事業は十分な成果を上げました。
動物園で繁殖した家族群を中央アルプスに放鳥し定着させることにも成功しており、令和4年(2022年)に野生復帰させた個体は、翌年(2023年)に生存が確認されたすべての個体が少なくとも1回は繁殖に参加したことが確認されました。さらに、野生復帰させた個体から産まれた子供が生存し、繁殖に参加していることも確認できています。これは、ライチョウの野生復帰における動物園との連携が新たな可能性を示しました。
4-5. 捕食者対策と環境整備
ケージ保護と並行して、ライチョウの生息環境を改善するための捕食者対策も実施されました。
-
捕食者対策の実施と効果
・中央アルプスでは、テンとキツネを主な対象とした捕獲活動が実施されており、令和2年(2020年)から5年間でテン9頭、キツネ1頭を捕獲しました。特に令和6年度(2024年度)はテン4頭、キツネ1頭が捕獲されましたが、捕獲効率は若干低下しています。捕獲場所は山小屋周辺に設置されたカゴ罠などが中心です。
・捕獲技術の開発も継続されており、緩衝性足はさみ罠(雛の錯誤捕獲を避けるため夜間中心に実施)や筒罠(小屋閉め期間中の設置を想定し、構造改良を検討中)などが活用されています。
・センサーカメラ調査により、北部から南部にかけて約30~40台のカメラが設置され、捕食者の活動状況がモニタリングされています。この調査から、キツネやテンがなわばり形成期(5月頃)から高山帯で活動していることが確認されています。また、高山帯における地上性捕食者がライチョウの生存率や生息環境悪化の原因の一つであることが示唆されており、その数値的な評価が今後の課題となっています。
・糞分析調査も令和5年(2023年)から実施されており、捕食の実態把握や哺乳類の行動圏推定を目指していますが、2年連続でライチョウのDNAは検出されていません。これは、卵や成鳥の生存率が高い現状において、ライチョウを捕食した個体の糞が検出されにくい可能性を示唆しています。
・ニホンザルの追い払い事業は、中央アルプス駒ヶ岳周辺において令和3年(2021年)の事業開始以降、ニホンザルの出現頻度が年々減少し、確実に成果を上げています。この事業は令和7年度(2025年度)も継続されます。
・南アルプス北岳でも捕食者対策が実施されていますが、捕獲効率の継続的な低下が課題となっており、経験豊富な猟師からの技術継承や効率的な捕獲手法の開発が急務とされています。特に、かご罠に頼らない捕獲方法(足くくり罠や緩衝性足はさみ罠)の導入が重要視されています。
生息環境の改善
火打山では、ライチョウの生息環境を改善するため、イネ科植物の除去事業が進められています。頂上事業区ではイネ科除去量の減少に伴いライチョウの撮影頻度が増加し、ライチョウの利用が確実に増えていることが確認されています。令和7年度(2025年度)もライチョウ平事業区などでイネ科除去が継続される予定です。
これらの対策により、中央アルプスにおけるライチョウの繁殖成功率が高まることが期待されていますが、一方で、捕獲数の増加にもかかわらず雛の生存率が年々減少しているという課題も指摘されており、今後の捕食者対策の重要性が高まっています。
4-6. 今後の課題と取り組み
ケージ保護事業
令和6年度(2024年度)をもって終了し、野生復帰事業も令和7年度(2025年度)を最終年度とする方針です。今後は捕食者対策やニホンザルの追い払いなどの管理手法を継続し、自立個体群認定を目指します。移送中の事故と改善
令和6年度(2024年度)に初めて実施された亜成鳥の陸送において、移送中に3個体が死亡する事故が発生しました。これは移送中の高温多湿によるヒートショックが最大の原因であり、環境省および日本動物園水族環境会(JAZA)の実施体制における事前確認や情報共有の不足が指摘されました。これを受け、今後は個体移送に関するマニュアルを作成し、移送箱の改良や車両運搬方法の検討を進める方針です。飼育下繁殖技術の向上
野生復帰候補個体において繁殖の遅延が3年連続で生じ、産卵前の高温が原因の可能性が指摘されています。また、孵化から1ヶ月間、特に1週齢までの人工育雛における生存率の低さも課題です。孵卵条件の再検討や母鳥への栄養強化を通じて、育雛率の改善を目指します。腸内細菌叢の確実な構築
孵化直後の雛の腸内細菌叢構築が不十分な場合があるため、孵化翌日までの凍結乾燥糞末の確実な投与と21日間の連続投与を徹底し、さらにガンコウランなどの凍結乾燥粉末給餌を通じて菌叢誘導を強化します。遺伝的多様性の確保
野生個体から採取した精子を用いた人工授精による雛の誕生に成功しており、2系統の新たな遺伝子を飼育下に導入することができました。これにより遺伝的多様性の確保に向けた新たな可能性が示されましたが、受精率や孵化率の向上、精子の凍結輸送・保存については引き続き課題となっています。普及啓発・人材育成
生息地現地での登山者への普及啓発や、地域間の調査手法の共有による人材育成が今後の課題として挙げられています
これらの課題を解決しながら、中央アルプスでの個体群が安定することで、他のライチョウ生息地における保全事業にも新たな知見が提供されることが期待されます。
5. 遺伝的多様性と移植個体群の血統管理
5-1. 現状の遺伝的多様性
日本ライチョウは本州中部の高山帯に隔離分布しており、地域間の遺伝交流が限定的です。このため、各地域の個体群は独自の遺伝子プールを形成しており、近親交配による遺伝的ボトルネックの懸念が高まっています。
5-2. 近親交配リスクと対策
中央アルプスへの移植では、乗鞍岳や北アルプス由来の個体が中心となっていますが、これにより近親交配のリスクが生じるため、以下の対策が講じられています。
-
新たな遺伝子系統の導入(人工授精技術の活用)
・野生個体からの精子採取と人工授精による遺伝的多様性の確保が図られています。令和6年度には、乗鞍岳で捕獲された野生雄7個体のうち5個体から精子を採取することに成功しました。この処置は捕獲から30分以内に行われ、個体への負担は大きくなかったとされています。・採取された精子は富山市ファミリーパークに低温で輸送され、産卵または発情が見られている飼育個体への人工授精が実施されました。これにより、ライチョウ保護増殖事業において初めて、野生個体から採取した精子を用いた人工授精で雛が誕生しました。
・誕生した2羽の雛はともにオスで、父子判定の結果、2系統の新たな遺伝子を飼育下に導入することに成功しました。
・しかし、精子の質には個体差が大きく、飼育個体に注入可能と判断されたのは2個体の精子のみでした。また、人工授精後に産卵した卵の発生率は低く(30.7%)、孵化率はさらに低い(15.3%)という課題も指摘されています。
精子の凍結輸送および保存技術の向上も引き続き課題とされており、令和7年度も人工授精卵の発生率・孵化率の向上、優良精液の採取成功数の増加、精液の低温輸送方法の向上が目標とされています。上野動物園ではポテンシャルファウンダーからの採精・人工授精により6羽が孵化し、横浜市繁殖センターでは精液の凍結保存と人工授精で受精卵を獲得したものの雛の孵化には至っていないなど、各園館で技術開発が続けられています。
5-3. 今後の展望
ライチョウの保護増殖事業は、中央アルプスでの個体群が「自立個体群」として認定され、レッドリストの絶滅危惧IB類(EN)から絶滅危惧Ⅱ類(VU)へのダウンリストを目指しています。この目標達成には、遺伝的多様性の確保と精密な血統管理が不可欠です。
遺伝子解析の活用
・環境省は遺伝子解析ワーキンググループ(WG)を設置し、事業を進めています。
・過去の減少要因を推定するため、中央アルプス産とされる剥製を含む複数の剥製の遺伝子解析も実施中であり、その結果に基づいて次年度以降の実施内容が決定される予定です。これは、より精密な個体群管理への貢献が期待されます。精子凍結保存技術のさらなる発展
前述の通り、精子の凍結輸送および保存は引き続き課題であり、この技術が向上することで、長期的な遺伝資源の維持と、将来的な新たな遺伝子系統の導入がより柔軟に実施できるようになると期待されています。-
事業の監視フェーズへの移行
・中央アルプスにおけるケージ保護事業は令和6年度で終了し、野生復帰事業も令和7年度を最終年度とする方針です。
・令和8年度から令和10年度にかけては中央アルプスでの生息状況調査が実施され、令和11年度に3年間のデータを用いて個体群の将来予測が行われます。この予測により2035年程度までの存続が見込まれる場合に、中央アルプスが自立個体群として認定されます。・令和12年度以降は保護増殖事業を一旦終了し、「監視フェーズ」へ移行する予定であり、遺伝的多様性の維持はこの長期的な安定にとって重要な要素となります。
これらの取り組みを通じて、中央アルプスのライチョウ個体群の安定と、今後のライチョウ保全事業全体の進展に貢献することが期待されています。
6. 国内における動物園での保護繁殖の取り組み
6-1. 動物園での取り組みの現状
日本国内では、那須どうぶつ王国、富山市ファミリーパーク、上野動物園、茶臼山動物園、いしかわ動物園に加え、横浜市繁殖センター、東京都多摩動物公園、飯田市動物園、秋田市立大森山動物園などがライチョウの飼育下繁殖プログラムに参加しています。各施設は、人工授精や自然孵化、親鳥による育雛など多様な方法を用いて繁殖成功を目指しており、動物園間での情報交換と個体交換が行われています。
2024年12月時点では、生息域外保全で飼育されているライチョウの個体数は65個体に達しており、順調に増加しています。しかし、令和7年度末時点での飼育個体数の目標である80個体達成は難しい見込みとされています3。これは、野生復帰用個体の飼育や繁殖補助技術の試験に重点が置かれ、雛の誕生数が一時的に少なくなっていることなどが影響しています。
主要な動物園と繁殖の取り組み
動物園・施設名 |
主な取り組み |
|---|---|
那須どうぶつ王国(栃木県) |
繁殖成功例が多数あり、野生復帰事業実施園館として、中央アルプスへの野生復帰個体創出に専念しています。2022年には19羽のヒナを孵化させ、中央アルプスに野生復帰させました。 |
富山市ファミリーパーク(富山県) |
繁殖推進園館として、2024年に乗鞍岳で捕獲された野生雄の精子を用いた人工授精での繁殖に成功し、2羽の雛を誕生させました。これはライチョウ保護増殖事業において初めての成功例であり、2系統の新たな遺伝子を飼育下に導入することに成功しています。令和7年度からは野生復帰候補個体の飼育園にも追加されています。 |
上野動物園(東京都) |
繁殖補助技術開発園館として、ポテンシャルファウンダーからの採精・人工授精により6羽の孵化に成功しています。主に人工採精、人工授精、精子の低温及び凍結保存に関する技術開発を担っています。 |
茶臼山動物園(長野県) |
2018年に国内初のライチョウ飼育下繁殖に成功し、野生復帰事業実施園館として中央アルプスの野生復帰に貢献しています。 |
いしかわ動物園(石川県) |
2019年に初めてライチョウの繁殖に成功し、飼育個体群の維持に貢献しています。野生復帰事業実施園館でもあります。 |
横浜市繁殖センター(神奈川県) |
繁殖補助技術開発園館として、主に精液の凍結保存及びその精液を使用した人工授精の技術開発に取り組んでいます。(これまでに受精卵は獲得できたものの、残念ながら雛の孵化には至っていません。) |
その他園館 |
東京都多摩動物公園、飯田市動物園、秋田市立大森山動物園は飼育維持(余剰個体の受け入れを含む)および展示・普及啓発を担っています。 |
6-2. 成功事例と今後の課題
成功事例
那須どうぶつ王国では2022年に19羽のヒナが孵化し、中央アルプスへの野生復帰に結びつく成果が得られました。富山市ファミリーパークでは2024年に野生オスの精子を用いた人工授精が成功し、2羽のヒナが孵化するなど、各施設で着実な成果が報告されています。特に、この人工授精による成功は、野生個体からの新たな遺伝子系統を飼育下に導入する初めての事例となり、遺伝的多様性の維持に大きく貢献しています。上野動物園でもポテンシャルファウンダーからの人工授精により6羽が孵化しています。今後の課題
ヒナの生存率向上は依然として大きな課題です。孵化から1ヶ月間、特に1週齢までの生存率が低いことや、孵化時に卵黄嚢の吸収不全が見られる事例も報告されており、人工孵卵器の微妙な設定など、各ステージにおける飼育技術の精度向上が必要とされています。
また、繁殖補助技術として期待される人工授精では、採取された精子の質に個体差が大きく、飼育個体に注入可能と判断されたのは一部の精子のみでした。人工授精後の卵の発生率は30.7%、孵化率は15.3%と低い状況であり、精子の凍結輸送および保存技術の向上も引き続き重要な課題とされています。
さらに、飼育下繁殖においては、産卵前に高温を経験することで繁殖の遅延や産卵が起こらない可能性が明らかになっており、適切な温度管理が求められています。雛の野生型腸内細菌叢の定着も課題であり、孵化直後の凍結乾燥糞末の確実な投与や、高山植物への採餌を促す給餌方法の工夫が必要です。
これらの課題に対し、令和7年度の目標として、人工授精卵の発生率・孵化率の向上、優良精液の採取成功数の増加、精液の低温輸送方法の向上などが掲げられています。動物園での保護繁殖と野生復帰プロジェクトの連携を強化し、各施設で蓄積された技術とデータを全国レベルで共有する仕組みの構築は引き続き重要であり、生息域外保全集団の長期的な維持に向けた検討も進める必要があります。
7. まとめ
日本ライチョウは、厳しい高山環境で生き抜く「氷期の生き残り」として、その存在は高山生態系のシンボルです。
環境省は、中央アルプスでのライチョウ個体群が「自立個体群」として認定されることを目指しており、これによりレッドリストの絶滅危惧IB類(EN)から絶滅危惧Ⅱ類(VU)へのダウンリストが可能になる状態を目標としています。中央アルプスのケージ保護事業は令和6年度で終了し、野生復帰事業も令和7年度を最終年度とする方針です。その後、令和8年度から令和10年度にかけて中央アルプスでの生息状況調査が実施され、令和11年度(2029年)に3年間のデータを用いて個体群の将来予測が行われます。この予測により2035年程度までの存続が見込まれる場合に、中央アルプスが自立個体群として認定され、絶滅危惧Ⅱ類へのダウンリストが検討されることになります。令和12年度(2030年)以降は保護増殖事業を一旦終了し、「監視フェーズ」へ移行する予定です。
本コラムでは、以下の点を見てきました。
人工繁殖の歴史と技術の進歩
初期の試行から、2012年以降の保護増殖事業計画に基づく取り組み、そして令和6年度に初めて成功した野生個体からの精子を用いた人工授精による新たな遺伝子系統の導入や、盲腸糞を活用した腸内細菌移植技術の導入と改善など、最新の技術が導入されています。富士山での放鳥計画の失敗と教訓
生息環境の不適合、捕食圧、放鳥手法の未熟さ、個体数不足が長期的な定着を阻んだ点を明らかにし、これを基に改善策が講じられたこと。中央アルプスでのケージ保護方式と野生復帰
ケージ保護を活用したソフトリリース方式により、親子の順化訓練と野外放鳥が実施され、個体群の回復が進んでいます。中央アルプスにおけるケージ保護事業は令和6年度で終了し、今後は個体数減少を食い止める緊急措置として活用される可能性が示唆されています。遺伝的多様性と血統管理の重要性
地域ごとの隔離分布による遺伝的多様性低下のリスクに対し、複数地域からの個体導入、DNAデータベース化、そして野生雄からの人工授精による新たな遺伝子系統の導入成功など、具体的な対策が進められています。精子凍結保存技術のさらなる発展も、長期的な遺伝資源の維持において重要視されています。国内動物園での保護繁殖の取り組み
各動物園が連携して多角的な繁殖技術を実施し、野生復帰の「保険集団」としての役割を担いつつありますが、孵化率や育雛率の向上、人工授精の成功率向上、腸内細菌叢の定着など、依然として多くの課題を抱えています。
これらの取り組みは、科学的知見と技術革新、そして地域や関係機関の協力により、日本ライチョウの未来を守るための重要な一歩となっています。今後も、遺伝的多様性の維持、生息環境の徹底評価、持続可能な資金調達と人材確保を通じ、さらなる進展が期待されます。
参考文献・出典
環境省. (2020). 第二期ライチョウ保護増殖事業実施計画. https://chubu.env.go.jp/shinetsu/content/900117622.pdf
環境省 信越自然環境事務所. ライチョウ保護増殖事業計画.
https://chubu.env.go.jp/shinetsu/wildlife/rockptarmigan/index.html東京都 上野動物園. (2021). 日本初のライチョウ人工授精成功報告.
https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2021/07/20/10.html那須どうぶつ王国公式note 中央アルプスにライチョウを野生復帰させました!
https://nasu-oukoku-zoo.note.jp/n/n90a75fd7c89d富山市ファミリーパーク. (2024). ニホンライチョウの孵化について
https://www.toyama-familypark.jp/wp-content/uploads/2024/06/20260628ライチョウ.pdfFujisan-net. (2023). 富士山でのライチョウ繁殖試みとその失敗.
https://www.fujisan-net.jp/post_detail/2001726長野 康之, 新潟ライチョウ研究会. (2022). 中央アルプスにおけるライチョウ移植事業の課題:北米のライチョウ移植プロトコルおよびIUCNガイドラインとの比較.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/hozen/27/1/272031/pdf/-char/ja中村浩志. (2023). ライチョウのケージ保護.
https://hnbirdlabo.org/index.php/activityintroduction/cageprotection/環境省信越自然環境事務所. 令和6年度中央アルプスにおけるライチョウの生息個体数及びケージ保護状況について
https://chubu.env.go.jp/shinetsu/pre2024/press00131.html-
信州大学 剥製に尋ねる100年前の遺伝子情報
https://www.shinshu-u.ac.jp/research/highlight/2023/11/100-1.html
東京ズーネット. (2024) 日本初! 野生のニホンライチョウから精液採取と人工繁殖に成功!
https://www.tokyo-zoo.net/topic/topicsdetail?kind=news&inst=ueno&linknum=28637国立研究開発法人 森林研究・整備機構 ニホンライチョウ、温暖化で絶滅の危機
https://www.ffpri.affrc.go.jp/press/2019/20190710/documents/20190710press.pdf天野 達也. (2017). 保全科学における情報のギャップと3つのアプローチ. 保全生態学研究, 22, 5–20.
https://doi.org/10.18960/hozen.22.1_5IUCN/SSC. (2013a). Guidelines for reintroductions and other conservation translocations.
https://portals.iucn.org/library/efiles/documents/2013-009.pdf市立大町山岳博物館 「ライチョウ会議報告書」
https://www.omachi-sanpaku.com/sanpaku/grouse/環境省 信越自然環境事務所 令和6年度 保護増殖検討会資料
https://chubu.env.go.jp/shinetsu/wildlife/rockptarmigan/R6-1.html
※OFLAは、自然とともに生きる未来を支えるため、今後、本製品については販売する製品の売上の一部をライチョウの研究・保護活動に寄付します。
(NEW!) 寄付対象製品 WASHI-100 Long Sleeve Tee をお買い求めいただけます!
他の動植物、生息域の保護活動寄付も今後予定しております。
Instagramでも随時情報を発信していきますので、是非フォローをよろしくお願い致します。

