ライチョウ(5) — 特別天然記念物指定と初期の取り組み

ライチョウ(5) — 特別天然記念物指定と初期の取り組み

1. はじめに

ライチョウは、1955年に国の特別天然記念物に指定されました。これは日本の鳥類保護の歴史のなかでも特に重要な一歩と言えます。ここでは、ライチョウが特別天然記念物に指定された経緯と、それを受けて行われた初期の保護活動を振り返ってみましょう。

2. 特別天然記念物指定までの道のり

近代化による生息数の変動

明治から大正、昭和の初期にかけて、日本では近代化が進み、山岳地帯でも各種の開発が行われるようになりました。また、狩猟文化も活発化する中で、ライチョウは数を減らしていきます。やがて「高山の象徴であるライチョウを保護しなければならない」との声が高まりました。

学術的価値と文化的価値

ライチョウの研究が進むにつれ、この鳥が氷期の生き残りであり、独自の生態を持つことが明らかになりました。さらに、山岳信仰の象徴としての文化的価値も見直され、国として保護する意義が強く認識されるようになったのです。

3.年表:ライチョウ保護の主な取り組み(研究含む)

  • 1895年:明治政府が雷鳥の狩猟規制を開始。狩猟法施行細則で春~夏の猟を禁止する

  • 1901年:狩猟法改定で禁猟期間を繁殖期全般に拡大する​

  • 1910年:改正狩猟法により雷鳥が「保護鳥」に指定され通年捕獲禁止となる​

  • 1923年:史蹟名勝天然紀念物保存法により雷鳥が国の天然記念物に指定される

  • 1955年:ライチョウが国の特別天然記念物に指定される

  • 1960年代: 各地の国立公園指定が進み、ライチョウの生息域保護が開始

  • 1960年:白馬岳の雷鳥7羽を富士山へ移植する実験的試みが行われる。
    ※1966年に富士山で9羽の生存と繁殖を確認したが、その後定着せず1970年以降は確認されなくなった​

  • 1963年:大町山岳博物館でライチョウの飼育・繁殖試験が始まる

  • 1964年:南アルプス国立公園指定。赤石山脈の雷鳥生息域が保護下に置かれる

  • 1970年代: 信州大学の羽田健三教授らが北アルプス爺ヶ岳や乗鞍岳などで雷鳥の生態調査を長期継続。縄張り分布や個体数の推定など、日本初の本格的な雷鳥のフィールド研究が行われる​。その成果により各山域の生息状況が明らかになり、開発や登山圧による影響が指摘され始める。

  • 1972年:雷鳥が「特殊鳥類」に指定され許可のない譲渡や飼育が禁止される(特殊鳥類の譲渡等禁止法)

  • 1980年代: 捕食者管理や生息地の環境整備が開始

  • 1984年:鳥獣保護法により北アルプス鳥獣保護区が大幅拡大
    北アルプス主要山域が保護区に指定され、乗鞍岳・穂高岳など広範囲で生息地保全が図られる

  • 1993年:雷鳥が種の保存法に基づく国内希少野生動植物種に指定される​。

    卵を含め無許可採取・譲渡が禁止され、法的保護が一層強化。環境省レッドリストで絶滅危惧IB類(EN)に選定

  • 1999年:鳥獣保護法の全面改正(現行の「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」)で、雷鳥が「希少鳥獣」に指定される​。以後、国の保護増殖事業の枠組みで雷鳥保全策が推進される。

  • 2000年代: 動物園での生息域外保全プロジェクトが本格化、長野県希少野生動植物保護条例に基づく指定希少野生動植物に指定

  • 2010年代: 中央アルプスでの個体群復活プロジェクトが開始

  • 2020年代: 火打山でイネ科植物を除去しライチョウの採食環境を改善する取組が開始

ライチョウは1955年に国の特別天然記念物に指定されました。この指定は、日本の貴重な自然遺産としての価値が認められた結果であり、絶滅の危機に瀕していたライチョウの保護を強化する重要な一歩となりました。指定の背景には、ライチョウの生息域が限定的であり、気候変動や人間活動の影響を受けやすいことがあります。また、歴史的にもライチョウは文化や信仰と深く結びついており、立山や白山などの霊峰では雷除けの象徴とされてきました。

4. 初期の保護活動とその課題(~1970年代)

特別天然記念物に指定された後、日本各地でライチョウの保護活動が開始されました。初期の取り組みとしては、以下のようなものが挙げられます。

  1. 狩猟規制と監視
    特別天然記念物に指定されたことで、ライチョウの捕獲や販売が厳しく規制されるようになりました。山岳地帯の巡視や監視活動が強化され、密猟対策が行われたのもこの頃です。

  2. 生息域の保護と国立公園指定

    ライチョウの主要な生息地である北アルプス、南アルプス、乗鞍岳などが国立公園に指定されました。これにより、生息地の乱開発や登山客による影響を最小限に抑えるための規制が強化されました。

  3. 個体数調査の開始

    1960年代から、大町山岳博物館や信州大学などの研究機関が主体となり、ライチョウの個体数調査が行われるようになりました。当時の推定個体数は約3,000羽でしたが、1970年代には減少傾向が見られるようになります。これにより、生息地が限定的であること、高山生態系がもろいことなどが再確認され、さらなる保護の必要性が痛感されるようになりました。

  4. 飼育・繁殖試験の開始

    1963年、大町山岳博物館においてライチョウの飼育・繁殖試験が始まりました。これは生息域外保全の先駆的な取り組みであり、人工飼育の可能性を探る重要な実験でした。しかし、当時の技術では長期的な飼育が困難であり、十分な繁殖成功には至りませんでした。

  5. 登山者への啓発活動

    1970年代からは、登山者向けのガイドラインが作成され、ライチョウの生息地での行動指針が示されるようになりました。特に繁殖期(6月〜7月)には登山道から外れないこと、鳴き声を聞いても追いかけないことなどのルールが定められました。

5. 保護活動の進展と新たな取り組み(1980年代~)

1980年代以降、ライチョウの保全活動はさらに発展し、さまざまな対策が講じられるようになりました。

  1. 捕食者対策の強化

    高山帯に進出したキツネやカラスの個体数管理が進められ、ライチョウの繁殖成功率を向上させるための対策が導入されました。特に南アルプスでは、キツネやテンを捕獲することで、雛の生存率が向上したと報告されています。

  2. 生息域外保全の充実

    2000年代以降、動物園などでライチョウの飼育が行われ、野生復帰の可能性を探る研究が進められました。現在では、上野動物園大、大町山岳博物館、富山市ファミリーパークでライチョウの飼育・繁殖が進められており、またいしかわ動物園、那須どうぶつ王国、横浜市繁殖センターでも飼育がされています。

  3. 地域コミュニティとの協力

    地元自治体や登山者との連携が強化され、ライチョウの生息地を保護するための啓発活動が活発になりました。例えば、長野県では「ライチョウ保護スクラムプロジェクト」が立ち上げられ、一般登山者もライチョウの観察記録を報告できる仕組みが整えられています。

次回のコラムでは、現代に至るまでの保護の歩みや、さらに踏み込んだ取り組み(生息地の整備や外来種対策など)を見ていきたいと思います。

【出典、参考文献】


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